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近世には萩原山日置天神と称されていましたが、伝記によれば古く天徳三年(九六0)道真公が祀られたことが記されている。
◎当神社所有の文書では元禄年間(約300年前)の寺社改帳が現存する一番古い古文書です。それより古い記録は存在しないが、境内から発掘される平安時代の古瓦などから推察すれば伝えの如く、神仏混合時代には僧行基(奈良時代)の開基したと云う「萩原寺」が 神仏の聖地として栄え、数院の塔頭を有し「萩原山」の山号で称され広い信仰を集めていたことがうかが える。尚 現在も原寺の妙覚寺の山号は萩原山を冠している。
又 鎮座地の「原寺」の地名も萩原寺の萩をいつしか略したものと思われる。尚 南北朝には戦火にあい、その後 妙覚寺、正福寺、釈迦院、地蔵院、観音院を近村に遷したと伝えられる。
明治末期には近在より七社が 当社に合祀され、現在は広大な氏子区域を有す。また日置西村の大庄屋日置氏(吉村家)の氏神は、当社に合祀されている天櫛玉命であるが、日置氏は極めて天神信仰が篤かった事跡が顕著である。
又本殿の脇に保存されている旧本殿(右上の写真)は約三百五十年前の建築である。
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